妹は知っていた。
兄が辛い過去やどうしようもできない思いを抱えて毎晩ひとりで泣いていることを。
親に甘える時期にそれができなかった兄は誰かに甘えるということを知らず、幼い頃から全てをその背に
抱え込んでいた。
弱みを見せることができない兄は涙を流すことでそれらを受け入れているのだと、妹は知っていた。
妹は言わなかった。
兄は自分の前では強くあろうとしているのを知っているから。
泣いていることを心配して兄に言ってしまえば、兄は泣くことすらできなくなることを知っているから。
兄の唯一の自己保全のための手段を取ることなどできないから、妹は言わなかった。
兄は知らなかった。
色々な感情が混ざってどうしようもできなくなって声を殺して泣いている時、隣の部屋で妹が起きていることを。
さらに自分が泣いていることに気づいていて、兄を慰めることができない自分に憤りを感じていることを。
自分を心配して涙を流していることを、兄は知らなかった。
内緒の指切りげんまん
あの人は兄にとって光だった。
自分が覚えているだけでも、兄が夜泣いていなかったのは7年前、枢木家に預けられていたほんの数か月。
それも最初険悪だった兄とあの人が仲良くなってからだから、その期間も僅か。
けれど戦争であの人と離れ離れになってから兄は毎夜、再びひっそりと泣くようになった。
私は兄を支えてあげれなかった。
『兄』であることで日中自分を保っているような気がしたから。だから私は知らないふりをしていた。
守られてばかりの無力な自分が嫌だった。
あの人は再び私たちの前にきてくれた。
けれども兄の涙は止まらない。
兄の涙を止められるのはあの人だけだというのに、7年という年月に溜まっていたものは兄にそれすら許さなかった。
「どうしたの、ナナリー?難しい顔して…」
「スザクさん…」
見えないけれど感じる方へ顔を動かすと、そっとスザクさんが手を取ってくれた。
平日の午後、クラブハウスに今は兄はいない。
高等部はまだ授業。中等部の私は一足先にクラブハウスに帰っていると、それからほどなくしてスザクさんが訪ねてきた。
授業は?と尋ねると軍務の合間、中途半端にできた休憩時間は授業を受けるのにも半端だからとおっしゃった。
そして私に話があるから、とそうおっしゃったが、それから他愛もない話をしていたのだけれども、私は気がついたら
一人考え込んでいた。
それに気付いたスザクさんは優しく声をかけてくれて。
ああ、私は言ってもよいのでしょうか。この方に、兄のことを頼んでもよろしいのでしょうか。
スザクさんは軍務で忙しいようだった。軍人が普段どのようなことをしているのか分からないけれど、スザクさんだって
疲れているはず。
そんな彼に、私は頼んでもよろしいのでしょうか。
「ナナリー、遠慮しないで僕にできることがあるなら何でも言って、ね?」
「スザクさん…っ!!」
なんてこの人は敏いのかしら。
優しく頭を撫でられて、兄とは別のその優しさに涙が流れた。
きっとスザクさんは気づいていたのでしょう。私が彼に言い出せない頼みごとがあるということに。
だからわざわざ訪ねてきてくれたのだ。兄がいると話すことができないから兄のいないこの僅かな時間に、
休憩を削ってまで。
ごめんなさいスザクさん。頼らせて、ください。
「お兄様が、泣いているんです…」
「ルルーシュが?」
「はい…。7年前のあの日、スザクさんと別れてから、毎日…」
止まらなかった。
全て話していた。その間もスザクさんは優しく頭を撫でていてくれた。
「何もできない私が、嫌…」
「そんなことないよ、ナナリー。ナナリーがいるから、ルルーシュは今まで頑張ってこれたんだ。」
「でも、私にはお兄様の涙を止めれません…。お兄様が苦しんでいるのに、私はただ守られているだけで…」
「違うよ、ナナリー。君は守られているだけじゃない。君もちゃんと、ルルーシュを守っているんだ。」
「私が、お兄様を…?」
「うん」
それはどういうことなのでしょう。
目が見えず、足も動かない私はいつも兄に助けてもらってばかり。
そんな私が、兄を守ることなんてできないのに。
「ルルーシュがクラブハウスに帰ってきて、ナナリーが笑顔でおかえりなさい、って言う。
ルルーシュにはただいま、って言える相手と場所があって、そこにいるのは君だ。
他愛もない話をして触れ合って、寝る前にはお休み、って言って朝起きたらおはよう、って言って言われて。
その相手はもちろん君。
僕は知っている。
ルルーシュがナナリーを見る目は優しくて、それでとても嬉しそうで。
君以外の誰にもそんな眼は向けないんだよ。学校でもナナリーの話になると表情が和らいでさ。
一番ルルーシュが安心していて気を抜いているのは、間違いなくナナリーの隣なんだよ。
僕なんて入り込む隙間がなくて嫉妬しちゃうくらいにだよ!
…確かにルルーシュは泣いていることを君に知られたくないと思う。ルルーシュの涙を止めれるのは僕だけなのかもしれない。
けれど、毎日のルルーシュを作っているのはナナリー、君だよ。
ナナリーはルルーシュが無条件で安らげる場所を与えているんだ。そうやって君はルルーシュを守っているんだよ。
それは、僕にも他の誰にもできない、ナナリーにしかできないこと。」
涙が止まらなかった。
嬉しかった。そう言ってもらえて、今までの不安とかが全部消えていった。
優しく涙を拭われて、本当にスザクさんに再会できてよかったと、心から思った。
この方なら、きっとお兄様が甘えられる唯一の人になってくれる。
「指切りって知ってる?日本の約束するときの方法の一つなんだけど」
「知っています。以前、咲世子さんが教えてくださいました。」
右手を上げ小指を差し出すと、それに兄とは違い少し骨ばったスザクさんの優しい指が絡まって。
「僕はルルーシュの涙を止めることを誓います。」
「私は私なりの方法でお兄様を守ることを誓います。」
きゅ、と小指に力を入れた。
「「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切ったっ!」」
スザクさんと指切りをした日から、お兄様の涙を我慢する声が聞こえる回数が減った。
その代わりに夜、誰かと話をしているような微かな声と気配を感じるようになった。
お兄様の声しか聞こえないときは、きっと電話なのでしょう、
もちろん何を話しているのかは聞こえないけれど、相手は誰だか分かる。
そして週に1度くらい、スザクさんがお兄様の部屋を訪れるようになった。
隣の部屋から微かに聞こえるスザクさんの優しい声とお兄様の幸せそうな甘い声。
日常でもお兄様の雰囲気が柔らかくなって、表情が豊かになっていることを感じた。
スザクさんには感謝してもしきれないと言ったら、小声で「僕もナナリーに負けないくらいルルーシュのことが好きだから」
と優しい声でおっしゃって、私はそれがとても嬉しかった。
妹は泣いた。
以前とは違って、悲しくてなんかじゃなくて、嬉しくて涙がこぼれた。
兄に大切な人ができたと、甘えることを知り、彼だけの幸せを手に入れることができたと、泣いた。
兄は知らない。
己の最愛の妹と幼馴染が内緒の指切りげんまんをしていることを、知らない。
兄は笑った。
もう夜中ひとりで涙を流すことがなくなったと。
自分には大切な人がいて守って守られているのだと、笑った。
「お兄様には内緒ですよ?」
「もちろんだよナナリー。これは、僕とナナリーの秘密。」
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一度は書いてみたかったスザクとナナリーの話です。幼馴染3人の幸せを願う私の願望が現れた感じですね。
C.C.はどこに行ったのかというツッコミは無しで!
この話の裏ポイントはルルーシュは妹に情事を知られているということです(笑)
他の話と違う雰囲気に仕上げてみました。たまにはこういう話もいいかなあと。
何気に自分では気に入ってたり。
2007.04.30